小学校・中学校不登校から、ビーンズでの青春経験、そして高校入試突破
もくじ
小学校・中学校不登校から、ビーンズでの青春経験、そして高校入試突破
本記事ではビーンズの“センパイ”祥さん(仮名)が、小・中学校の不登校経験、学校に戻れなかった理由、ビーンズとの出会い、ビーンズでの青春経験、進路決め、そして高校進学までのストーリー……を余すところなくお話しします!
自己紹介
――最初に簡単に自己紹介をお願いできますか?
祥:美大生やってます!今、1年生です!
1年の前期は7個中2個が最高評価、その他も上々な結果でいい感じです~~!
――すごーい!
祥:あとは、最近「ジョジョ」にはまってて4部のアニメを見てますね。
大学1年の1学期は結構しんどいことも多いな〜て思うけどそれも含め楽しんでます!
あとは、絵を描くのが元々好きだったのですが最近ではずっと描いてます。
毎日の習慣になってて、もう、歯磨きと同じくらいの勢いで描いてます(笑)
勉強のためにも美術館をたくさん巡ったり、また本も読んだりと、充実した毎日を過ごしてます!
小学校時代
小学校の思い出と不登校
――早速、受験期の話を聞きたいところなのですが、その前に祥さんがどんな人生を歩んできたか…小学校の頃から教えてもらえますか?
祥:私は、小学校3年生頃からほぼ学校に行かなくなりました。
学校に行かなくなったのは、3年生の時に転校したのがきっかけです。
元々居た学校は人も多くて明るい雰囲気で地元に根付いている感じがあったのですが、転校した学校は1学年1クラス20人の少人数で閉鎖的な雰囲気の学校でした。
さらに、その中で悪口言う子も何人かいて、かな~りしんどい雰囲気でした…。
最初に仲良くなった子が、わりと強気な女の子で、その雰囲気に気圧されてしまって学校に行きたくなくなったんです。
こんな不登校サポートはやめてくれ
小学校は、ツラめの思い出の方が鮮明に覚えています。今だから言えることとして「こんな不登校サポートはやめてくれ」というものがあります。
ある時、私が不登校になった時の担任の先生がクラスの子たち全員のメッセージを集めた寄せ書きをくれたんです。当時の私はこの寄せ書きをどんな気持ちで受け取ったら良いのか分からず、「 一方的に押し付けられちゃったな......」という印象を受けました。
先生が私のためを思ってプレゼントしてくれたということは今では分かりますし、ありがたいことだったのだなということももちろん理解しているのですが、当時小学生だった私には漠然と「怖い」という感情が残ってしまいました.....。
この当時の自分が感じた「怖い」という気持ちについて解像度を上げてお伝えすると……
大して仲良くない子たちからの「早く元気になってね」「また遊ぼうね」みたいなコメントを見て、より一層学校との距離を感じた……こういうことだと思います。
みんなからの優しいコメントを読んで、なぜ、かえって距離を感じてしまったのか。
理由をあげるなら、みんなのメッセージを読んで、
クラスのみんなが「私が学校に行きたくなくて、行っていない」ではなく
あくまで「ずっと体調不良で来れていない」と信じているんだって勘付いてしまったからなんです。
でも私、普通に体は元気だし…。
不登校の原因になった強気な女の子や、他にも関係性がそこまで良いわけでない子が「元気になってね」って書いてくれてたんですけど、それってタテマエの言葉だし、「先生から書かされただけなんだろうな~」くらいのことは小学生でも気づきますよね。
正直みんな「なんであいつのために書かなきゃいけない」って思いながら書いてたんだろうなって気がしたし、そんなことをさせた後にクラスの皆と会うのはもっと気まずい…。
小学校での転機とカナダでのホームステイ
って、色々言っちゃったんですけど、まあ一応そんな時期にも仲の良い子は数人いました。
私と同じく転校してきた子も含め、「この学校の雰囲気、違和感あるよね?」と思っている子たちでした。
それで3年生のときは、すっごく辛かったのに対し、4・5年生はすごくいい担任の先生で、さっきの仲いい友達のおかげもあって学校に行き始めることができました。先生の生徒1人1人に対してしっかり向き合う姿勢を感じて、その時はずっと学校に行けてました。ほんとに感謝してます。
でもまた途中から違う先生になって、クラスが変な方向にいってしまって、また行けなくなったんです。でもラッキーなことにさっきのいい先生が6年の途中で帰ってきたんです!
だから卒業直前とかたまには先生に会いに学校にいってました。私が学校に来ることを先生はすごく待ってくれてて。しかも、私が来ることを「不登校の生徒が学校に来た」という文脈ではなく、純粋に私とおしゃべりするのを楽しみにしてくれていたので、こっちも嬉しくなっちゃうんですよね。
こんな感じで、学校に対して嫌な思い出もたくさんあるんですけど、不登校で時間があった分、人とは違う経験もできました。
例えば、6年生のときに1人でカナダに行ってホームステイしたんです。
ホームシックにはなったけど、海外に1人で行けた! 暮らせた! という経験が自分の成功体験となり、自尊心になったんですね。
――そっか~、小学校から色々あったんですね……。で、今は「不登校だったからこそカナダも行けたし、結果良かった!」って思えているのはステキですね。
中学校時代
――ちなみに中学校は、そのまま地域の中学に行ったんですか?
祥:中学校は、小学校のメンバーと合わないエリア外の学校をわざわざ選びました。
しかし、それが選択ミスでした。結果、3日で行けなくなりました(笑)
――え!何が起きたのですか?
祥:その中学校が小学校からの一貫校だったのです……。
すでに一貫校独特の人間関係からくる空気感があって…。
そこに、自分の小学校3年生の時の転校した経験が重なってしまって行けなくなりましたね。
――一貫校独特の人間関係ってあるあるですよね…。そこから中学校は…?
祥:中学校は結局、馴染めなかったですね。
中2の時にも改めて中学校に行くか悩んで。
学校の先生と1:1で話す時間を取り始めたのですが「やっぱり学校合わないーーー!」ってなりました。
当時の私は制服をゴミ箱に突っ込んでしまう程、中学校への嫌悪感やトラウマを感じていました。そうまでしてでも、トラウマである学校の存在を自分から遠ざけたかったんです。
中学校に戻れなかった理由・先生との関係
――あららら……
祥:ゴミ箱行きにした制服は後に回収されてたんですけどね(笑)
「学校へ行こう!」って思っても、小学校の経験がトラウマになってて、どうしても、足が向かないんですよね。
でも、中2以外にも何度か「やっぱり学校へ行こう」って取り組んだ時期はありましたね。
中学3年生の自尊心が上がってた時期に1週間学校に行ってみたんです。
でも、その時も正直嫌な思い出があって…。
っていうのが、美術の授業で一生懸命描いた絵を先生に「ふつうだ」って言われて。
もちろん、ホメ言葉じゃないですよね。ネガティブな意味のふつう。
それで、めちゃくちゃ腹が立ったんです!怒り過ぎたら涙が出てきて(笑)
半泣きになりながら別の絵を仕方なく描いたら、今度は先生に「いいじゃん」って言われて。
結局、「学校ってテストかテストじゃなくても、先生の基準で良い悪いを評価されるところなんだな」って思ってしまって。
あの時、自分の絵の背景や、絵の内容を全く聞こうともせず「ふつう」とジャッジされた……
言い換えると「受け入れてもらえなかった」経験は今でも思い返すとモヤっとします。
他にも、数学の時間に解の公式をやったんですけど、その部分は、ビーンズで勉強してたから普通に解けて。
その時、学校の先生から「あ、できるんだ。」って言われたことをよく覚えています。
その言葉から「不登校なのにできるんだ」というニュアンスを感じとってしまって…。
ショックでした。
もちろん、先生は「不登校なのにできるんだ」などと直接言葉にしたわけではありません。
でも、あのときは余計なことは言わずに普通に「正解」とか言ってくれればよかったのにな……と思います。
そんなこんなで、中学校には色々思うところはあったんですけど。
先生の中で1人好きになれる方がいて。その先生のために卒業式は出席することができました。
――確かに、学校の先生の何気ない一言が気になったり、傷ついたりしちゃいますよね。
ビーンズとの出会いで、自尊心が上がる
――と、ここまできて思い出したんですけど、祥さんと学習支援塾ビーンズとの出会いって、いつになるんでしょう?
祥:中学1年で不登校になったタイミングで母がビーンズを見つけてくれました。
――なるほど!そのタイミングでビーンズが出てくるんですね。
祥:そうなんです。
ビーンズでは先生たちと話す時間が長くて、どの先生も私の話をしっかり聞いてくれて心地よかったです。
(悪意のあるイメージです)
ビーンズに通っているうちに、いろんな先生が私の「趣味の幅も広いけど1つのことに熱中できる力」を評価してくださって、自尊心が一気に爆上がりしていきました!
ビーンズではエンカレという特別グループ授業があります。
こんな授業です。
そのエンカレに参加させてもらう中で、同世代やちょっと上の先輩など幅広い年代の人と話せるようになりました。
※過去に開催したエンカレ授業の一例として、こちらの記事では「カコミライプレゼン」という生徒たちがお互いの進路について考える授業について紹介しています。ぜひご覧くださいませ!
エンカレの一環で中学生で、慶応大学湘南藤沢キャンパス、通称SFCのオープンキャンパスに行ったときに
「面白い世界」「面白い大人」「面白い研究」に出会えたし、
「中学生の段階で意識高い学問の世界を知れてる私って、いいな」って自分自身に対しても思えましたね!
――ビーンズでの1:1の時間や、エンカレの経験が祥さんの今につながっているんですね。
ビーンズで居場所と青春
――一方、ビーンズで元気になっている間、中学校との関わりはどんな感じだったんですか?
祥:今、思い返すと中学はほとんど行けてなくて。
――なるほど…
祥:でも、その間ビーンズが居場所になってたんですよね~。
小学校の時はビーンズもなくて。
「このまま自分は学校も仕事も行かずに、そのまま死ぬんじゃないか」って割と真剣に思ってました。
でも中学では「小学校で不登校やっても死ななかったし、ビーンズでたくさんのことを経験したから、中学校に行くよりビーンズで過ごす時間の方が有益だ」って自分で思えてました。
――めっちゃ変わりましたね!
祥:ちなみに科目勉強もビーンズのおかげで、堅苦しくなく趣味っぽい感じで始めれたので、嫌いにならず楽しめました。明らかに小学校に比べてメンタルは強くなってましたね〜。
そうこうしているうちに、ビーンズで”居場所”が生まれて、ある程度元気になった生徒が、
「ビーンズをもっと楽しくしよう」
「BBQもしたいし、修学旅行も行きたい!」
「青春したい!」
と、言い出して。
そこに中学生も高校生も乗ってきて。
ゲーム大会をしたり……
新聞部とか修学旅行部とかができて。
そのうち、生徒が企画するってのが当たり前になっていって。
タコパを企画したり、そうめん大会したり、
ついには、BBQを決行したり。
「ビーンズの先生たちとは普段から顔を合わせているけれど、もっとくだけた話や勉強・進路以外の話もしたい!」
「他のビーンズの生徒たちとも話してみたい!」
「何より青春したい!!!」
という、日頃から抱えていた思いを叶えることもできました。
そういった”青春経験 ”をビーンズで積めたのは、大きな経験になりましたね。
高校入試 都立チャレンジスクールへ向けて
毎週のように、なにかイベントがあったり、毎日のように、そのイベントのための打合せがあったりする流れで、進路選びも高校入試もお祭りのように始まりました。
そして、都立チャレンジスクールへの進学を目指すことになりました。
チャレンジスクールには魅力的な特徴がいくつもあるのですが、中でも特筆すべきは以下の3つです。
※チャレンジスクールについてのより詳しい説明はこちらの記事をご覧くださいませ。
・定時制
1〜3部の中から通学する時間帯を選択できる。
朝が弱い学生にも優しい夕方からの開講が人気で、結果的に私もその時間帯の授業を受けていました。
・単位制
大学のように自分で履修授業を決めることができる。
必要単位を4年間で取得して卒業することを基本としていますが、3年間で単位を取りきって卒業することもできます。
私自身も3年間で卒業しましたが、学年の半数くらいは3年間で卒業していた印象です。
・総合学科
履修できる授業は一般的な学校の主要五教科&副教科(音楽、美術など)だけではなく、陶芸やプログラミング、本格的なものづくりなど多岐にわたります。
これらの総合学科ならではの授業については、現在7校あるチャレンジスクールの中でもそれぞれ特色があるので、自分の興味に合った学校を見つける手掛かりにもなりました。
こういった魅力にひかれ、気合を入れてチャレンジスクール対策に取り組む......と思いきや、賑やかな雰囲気のままで高校入試対策も大して負担を感じることなく、無事合格をもらえました!
美談ではない美大受験 物語 小学校から高校入試突破編 まとめ
この記事では、祥さんの小・中学校の不登校経験、学校に戻れなかった理由、ビーンズとの出会い、ビーンズでの青春経験、進路決め、そして高校進学までのストーリーをお話しました。
次回「美談ではない美大受験・大学推薦入試 物語 美大との出会い・祥編」では、
悩める進路選択、自己分析、受験対策、そして大学受験当日の様子まで……余すところなくお伝えします!
祥さんが自分自身と進路にどう向き合うのか……ぜひご覧ください!