野村俊介(のむしゅん)先生の物語~ 中学・高校の不登校。ビーンズとの出会い、進路選び、大学受験
学習支援塾ビーンズの野村俊介です。ビーンズ内では、”のむしゅん”と呼ばれています。
本記事では、私の中学・高校での不登校経験と、そこからビーンズとの出会い、そして進路選び、大学受験の様子についてお話します。
■愛称
のむしゅん先生■役職
事務局長→副教室長(任期全うしました!)■担当科目
物理(専攻)・数学・英語・国語(社説要約の授業が大好きです)■科目勉強以外
自己分析指導・面接指導・宇宙の話■大学/学部
東北大学理学部物理学科(宇宙から透明マントまで研究する学科です)
※ビーンズにフルコミットするために休学中■経歴
中学不登校。都立名門高校を1年で不登校からの中退。ビーンズに生徒として入塾→高卒認定→大学受験(この記事で書いてます)
もくじ
私の中学・高校時代
私自身も不登校当事者で、ビーンズの生徒でした。
ビーンズ生時代の詳しいエピソードは後述しますが、今もビーンズで活動しているのは、苦しいときに支えてもらったビーンズにいつか恩返ししたいという気持ちがずっとあったからです。
本記事では、私がビーンズに出会うきっかけになった私の2回の不登校のこと、そしてビーンズでの生徒としての経験をお伝えできたらと思います。
中学時代
中学に入ってすぐに「ここ(中学)では、自分の考えをオープンにできない」という漠然とした感覚を持つようになりました。
特に学校の先生には最後まで心を開けませんでしたね……
なんとなく自分の考えや意見が封じられている感覚を持ってしまったのです。
そうこうするうちに、学校への行き渋りが始まり、中学1年生の前半はほとんど学校に行きませんでした。
私の場合、幸いだったのは、ビーンズでいうところの「4階構造」が自然とできていたことです。
まず、親がそこまで不登校に関して深刻に捉えなかったこと、いい意味で放任に徹してくれたことで、家庭は自分にとって「絶対安心の場である家庭」でした。
そして、幸いにも同級生に恵まれており、不登校とはいえ一緒にゲームするような友達もいて「青春経験」もありました。(正確に言えば、ゆるい青春ですね。)
こうして、中学は復学することになります。
中学不登校からの高校受験
中学復学後、基本的には楽しく中学生活を送っていました。
しかし、中学3年生……高校受験シーズンに突入します。
不登校を経験し、勉強なんてもってのほか(笑)でしたから、学力に関して周りからかなり遅れを取っていました...
自慢に聞こえると思いますが、私は小学校までまったく勉強しなくても何の問題もありませんでした(笑)
勉強へのなんとなくの自信がある一方で、中学校の「勉強しないと将来詰むよ!」みたいな「恐怖と不安」で勉強へ駆り立てる雰囲気が本当に苦痛でした。
周りから煽られれば、煽られるほど勉強を頑張ろうとは思えませんでした。
そんな状況でも、心のどこかでが「親や周りの同級生から認められたい!」みたいな気持ちがあって、それが私の場合、たまたま勉強に向かったんですよね。
一方、「勉強で周りを見返してやろう!」となって、勉強をするようになってすぐの時期は精神的に結構しんどかったです。
ここらへんの気持ちは、今いるビーンズの生徒とも相通ずるところが多いと思っています。
1つだけエピソードをお話しすると、周りの同級生が当然のように知ってる英単語を知らなくて恥ずかしい思いをしたのを覚えてます(笑)
chair(椅子)が読めないんです。
周りからはバカにされるどころか、「え……」と引かれ、その周りの顔色を見て、さらに自分が傷つくという悪循環でした(笑)
当時の私からしたら凄くツラい経験になり得たエピソードなのですが……
ここでも幸運が訪れます。
私が、当時通ってた塾(ビーンズではない)の先生がとても熱心に教えてくれたり、私のためだけに宿題を出してくれたりと手厚く指導してくれたのです。
まさしく「伴走してくれる大人」……
この塾の先生が心の支えになって頑張り続けることができました......!
塾の先生の伴走で頑張ることができた結果、中学3年生の学校の定期テストでもそれなりに点数が取れるようになりました。
こうして
1階 絶対安心の場である家庭
2階 伴走してくれる大人
3階 青春経験
をしっかり築いて、高校受験に向けた勉強を淡々と進めることができました。
そして当初の目的だった「親や周りの同級生から認められたい!」も達成されるようになりました。
不登校だったこともあり、都立(公立)高校入試に関しては内申点の面で不安もあったはずなのですが、受験前に凄ーく頑張った!という感覚はあまりありません。
それよりも日常生活の中でできることをやり続けた結果、「まぁここまできたら挑戦するよね」という感覚で志望高校を決め、受験日を迎えた記憶があります。
その結果、合格できました。
中学不登校からの志望高校合格、自分の中での成功体験となりました。
と、ここで話が終わるとキレイなのですが……まだ続きます! 笑
高校で2回目の不登校
イメージ
私が入学した都立高校は、いわゆる伝統校の部類に入ります。
文武両道、理系科目に力を入れ、自由さもある……という、ある種あるあるな都立高校です。
ところが、入学直後から、違和感を感じる事が多くなります。
最初に違和感を感じたのは学校生活が勉強中心で回っていることです。
毎日課題に追われるし、勉強できる人間が偉い!みたいな雰囲気に違和感を感じました。
次に、違和感を感じたのは名門公立高校あるあるの体育会系っぽい校風です。
これまた名門公立あるあるの「遠泳合宿」という行事があったのですが……
宿に着くなり水泳部のOB(大学生たち)に「腹から声出せ!! ぜんぜん聞こえない!」と怒鳴られ続けます。
ピチピチなビキニパンツを履いた、まっくろムキムキ男子大学生に怒鳴られ続ける……
一部のファンにはたまらないシチュエーションなのかもしれませんが、私は興味がありませんでした(笑)
※塾長の長澤先生も福岡の名門公立高校出身なのですが、ノリは一緒だったみたいです。
応援部主催の声出しを、速攻でボイコットして目をつけられたあたり、私と似ていますね(笑)
それもこれも今から思うと「名門公立高校あるある」ですし、自分のリサーチ不足が全ていけないのですが……
ちょっと話がわきにそれますが……
今、自分が中高生の通う塾の運営を担う立場になって思うのは「これと同じことを他の教育機関(例えば中学や私塾で)でやったらマズイんじゃないか……」という感想です。
例えば、上記と全く同じことをビーンズでやったら、大きなトラブルになりますよね。でも"学校"だから"伝統だから"と許されているのは、ちょっと違うなーと。体育会系のノリは好きな人がやる分にはいいと思いますし、部活のように任意参加でいいのではないでしょうか。
話を戻します。
まっくろムキムキに怒鳴られ続けて1時間。
その時点で「あ、もう帰ろう」と決意しました。
教師と話す中で情報収集し、どうも「夕ご飯を残す(食べられない)となると、体調不良として帰宅できる」という情報を掴んだ私は、迷うことなく実行しました
「本当に帰るのか?」
「もっと頑張れるだろ?恥ずかしくないのか?」
といった教師の言葉にも、ごく丁重に会釈で返して、一人電車を乗り継ぎ、帰宅しました(笑)
そして、そのまま不登校になりました。
不登校になった最初のころは、意外と精神的にも安定していました。
まず、高校受験でご無沙汰になっていたスマホゲームをリスタートしました。
(不登校の鉄板ですね!)
スマホゲームだけだと刺激が足りないので、親がいない間にリビングでゲームもやっていました(笑)
(大画面でのゲームは最高ですね!)
で、最初は楽しかったのですが、だんだんと不安になってきました。
(ビーンズ生徒のあるあるです)
同時に自分の親との関係も悪くなっていきました。
(ここもビーンズ生徒との状況と全く一緒です)
今となっては、「当時は親に心配かけたな……」と思えるのですが(と、親にも伝えているんですが)……
「俺は社会のレールには乗らないぞ! というか、もう自分が戻るべきレールはないんだ!」
と、当時はビーンズの生徒たちと同じように反発していましたね。
当時の私の心理状態をビーンズの用語を用いてお伝えすると……
不登校の状態にある自分を認めてほしいという「ありのまま欲求」が強い。
だけども「中学不登校から、短期集中勉強して名門校(……あくまで当時の主観です。)に入った」というプライドもあって誰にも頼れない状況。
にもかかわらず「いつかは何かしてやろう!」という「ドライブ欲求」も強い。
だけど復学も勉強もしない
……と、そんな状態でした。
今、自分が何人ものビーンズ生の伴走をし、そして保護者さまへのサポートもさせていただいた中で、当時の親の気持ちも理解できるようになりました。
親からすると、当時の自分の状態は本当に理解が難しかっただろうし、そんな状態の私を近くで見るのはツラかっただろうなと思います。
もちろん、この経験が巡り巡って今の私を形作っていることも事実です。なので、人生って不思議だなぁと思いますが(笑)
不登校の高校生としてビーンズに出会う
だんだんと不登校の時期が長くなっていく中で、焦りや不安の感情も出てきました。
何が不安……というより漠然と不安が毎日押し寄せてきました。
このまま僕は、引きこもりになるんじゃないか……(実際は割とアクティブに日々を過ごしていたのですが)
人間の集団には入れないんじゃないか……(今、それなりにリーダー経験も積みましたが)
と思っていました。
そして、そうした焦りや感情をリビングで親に話しだしたか、出さなかいかのタイミングで、それまで割と放任だった親がいくつか塾や予備校を紹介してくれました。
その中にビーンズもあったわけですね。
自分の親に言うのもなんですが、このタイミングまで待ってくれたのは、我が親ながら、ほんとに神!だったなと思います。
初めはビーンズに行きたくなかった!
とりあえず、ビーンズの体験授業までトントンと進みました。
ビーンズの最初の印象を敢えて言語化すると「なんか陽気な感じだけど嫌な明るさじゃない独特な感じ」……なんというか今まで感じたことない雰囲気でした。
とはいえ、最初はビーンズ行きたくなかったんですよね。
今、あれから年数も経って、あの時の感情を俯瞰してお伝えすると……
・まず、「ビーンズって、なんか勉強とかせずにカウンセリングチックな感じで終わりそう……」という感覚をうけてました。
(当時は勉強やるなら、バリバリやらねば!って価値観だったので)
・次に、「フリースクール」っぽくて、ビーンズに通うことで学校から逃げてラクをしてる感じもありました。
この二番目の感情に関しては、
「(ビーンズを見つけてきた)母親は甘いんじゃないか!」
「もっと子どもにビシバシ現実を突きつけないといけないんじゃないか!」
と、ビーンズに通うことにあんまり良い顔していなかった父や親戚の言い分になぜか私も感化されていたんですね。
「他の塾はやめちゃったけど、ビーンズはやめなかった」理由
いろいろ言いましたが、ビーンズには通い続けました。
他の塾はやめてしまっても、ビーンズには通い続けた理由……
これはいくつかあるのですが、まず学校の先生や大手塾の先生が絶対に言わないような砕けた会話から深い話題も正面からしてくれることです。
これで先生のことを圧倒的に信頼できるようになりました。
今、私は講師側となりましたが、生徒ひとりひとりにあった「学校の先生や大手塾の先生が絶対に言わないような話題」を話すということは、意識しています。
大学受験のエピソード~他人事から自分事へ
進路選びをテレなくできた理由
さて、ビーンズの日々にも慣れ、いよいよ大学受験です。
そして大学受験といえば、進路選び……。
理系? 文系? そもそも大学で何をやりたいの? 将来はどんな夢があるの?
ビーンズメソッドでは、こういった「自分事」の話題がくると、思春期の多くは苦しくなったり、テレたりするとしています。
私が進路選びをできた理由は、ビーンズの先生から「のむしゅんって、なんか宇宙とか興味ありそうじゃん?」みたいな軽めのノリで話を振ってもらえたからです。
「進路決めるってこんなノリでええんか~」って気楽に、素直に考えられたことを覚えています。
ビーンズの先生たちに共通しているのが、
「宇宙っておもろいよな~」
「(講師)ワイが好きな量子力学の話聞いてよ!」
くらいなノリで、明るく楽しく、ビーンズメソッドでいうところの「他人事」で進路の話をしてくれたことです。
そのうえで、
5回に1回くらい「宇宙って、こういう大学で学べるなー」と一緒に調べたり、
100回に1回くらい「数学はこのレベルが必要だよー」と現実をサラッと自分事を突きつけられたりしたのが良かったんだと思います。
そして、充分に温まってきたところで、高等専門学校の先生(専門がブラックホールと相対性理論!)とお話しする機会をいただけたのもよい想い出です。
※どうでもいいけど、この写真の私、マジで目が死んでますね。
受験勉強を努力できた理由
ビーンズで進路(東北大の物理学科)が決まると、いよいよ本格的に勉強開始です。
ふつうに考えると、中学・高校不登校の状態で国立大学を目指すとなると、広い範囲を勉強しなければならないので大変です。
まっくろムキムキに怒鳴られただけで、「もういいや」と高校をやめてしまうほどのこらえ性のない私ですが、勉強はしっかり続けられました。
それは、圧倒的に信頼関係が築けている先生と一緒にビーンズで決めた進路が、最後まで揺るがなかったからです。
そして、ビーンズで勉強を続ける中で、中学数学の範囲が終わり、高校数学の基礎が終わりかけたタイミングでビーンズの先生から……
「このレベルの問題を、この時間でできたら、予備校へ行くことへチャレンジしよう」
と言われました。
その問題は、当時の私にとってはめちゃくちゃ難しい問題だったのですが、とにかくその問題を解こうと頑張りました。
そして、ついにそのレベルの問題が解け、同時に英語も基礎部分も終わり、いよいよ国立大学を目指して、ビーンズを飛び立ち、予備校へ移ったのです。
本当はもっとビーンズで伴走してほしかった
(今だから言えることですが……)予備校に行って、すぐ勉強を100%の力で頑張れたわけではありませんでした。
予備校に行った後も、「もう少しビーンズでこんな話したかったな」ということがたくさんありました。
当たり前ですが、予備校で勉強につまづいたり、模試の結果がでなかったりすると凹みますよね。
また、受験が近づくと誰しも不安になります。そんなとき、ビーンズが伴走してくれたら……と思う時は多かったです。
実際、ビーンズで最後まで大学受験をした同期たちから話を聞くと、楽しそうなんですよね……
ビーンズの美談ではないリアルな大学受験物語 「勉強のやる気が出ない」編
今は、ビーンズで教える立場になっているので、一層「ビーンズメソッドによる伴走は、予備校で本格的な勉強を始めている生徒にも効果的なはず」と思っています。
大学受験生は、予備校に通っても悩みは尽きません。そこをビーンズが伴走したら、自己分析や進路決め、心のサポート、英語、数学、特に国語の社説・小論文はとっても進むと思います。
いま、ビーンズの講師になって思ったことは、「どのご家庭も予備校とビーンズ2つを同時並行するのは時間的にも金銭的にも厳しいよな」ということです。
仮に時間はどうにかなったとしても、金銭面の問題は残ります。
大手予備校に通いながらビーンズも週2~3回となるとかなりの金額になることは事実です。
では、ビーンズの料金を下げられるかと言うと、ビーンズは採用~育成にめちゃくちゃ時間がかかり、基本マンツーマン対応……。
自分でも計算してみたんですが、どう考えても授業料は下げようがありません。
でも、いつか、この矛盾を解消するような仕組みが作れたらいいな……これは私のひそかな野望です。
大学合格!からの……
さて、中学・高校不登校を跳ね返して、なんとか大学に合格しました。
意気揚々とビーンズに凱旋し、他のビーンズ生たちとも、お祝いしてもらう中で、「ビーンズで夢みた宇宙の勉強にフルコミットします!」と宣言したのを覚えています。
晴れて大学生。そして初めての一人暮らし。
両親も喜んで送り出してくれました。
まさかのパンデミック!
……と、ここで青天の霹靂。
新型コロナが直撃……全世界パンデミック状態となり、大学からもロックアウトされます。
キャンパスには通えず、一人暮らしの小さいアパートの部屋からオンライン授業を受けるだけの生活……
「あれ?また(ある意味)不登校……? 僕のキャンパスライフは?」と思わざるを得ませんでした(笑)
とりあえず、ビーンズにはオンラインで繋がりながら、いろいろ不満を聞いてもらい、なんとか物理や宇宙関係で青春できないかともがいていました。
宇宙開発機関インターンでも青春できない
そうこうするうちに、なんとかやる気を出して、政府系の某宇宙開発機関(J〇〇A)のインターンに応募して、合格をもらうことができました。
そこでは、宇宙に興味を持った熱い仲間と夜を徹した熱いディスカッションが……!
できることはありませんでした……
オンラインの座学の時間が続き、「これ、大学と変わらないじゃん……」と思ってしまい、途中離脱してしまったんです……
(今振り返ると、そのインターンのせいではなく、自分自身の宇宙に対する本気度合いが足りていなかっただけなのですが……)
そんなこんなで、大学生としての青春ができていないなか、好きだったはずの宇宙への興味も薄れていきました……
そして、大学もJ〇〇Aも燃えられない中で、自分が主体性を発揮し続けていたのがビーンズでした。
ここまできて、ついに「ビーンズで圧倒的に青春するしかない!」と考え始めました……
続きは、次の記事でご覧ください!